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| ラエ LAE (レイともいう) | |||||||||
現在の市街地フォン湾に面していたラエ飛行場は、マーカム河の流域でラエ市街より約40キロほど上流に移転して、ナザブ草原の直中にある。飛行場前庭より
ラエハイウェイ添いに展望される山並、左前方遥かな奥地のフエニステール山系とアデルバート山系の連接したあたりがボガジン渓谷地域で、20師団の中井支
隊が(昭和18年9月~19年3月の間)激しい戦いを交えたフェニステール作戦の地。クワトウ、ケセワ方面が遠望される。また、この草原地帯は昭和19年
9月5日、豪軍の落下傘部隊が大挙して降下進攻してきたところでナザブ草原と呼んでいた。
起点のラエよりゴロカ、マウントハーゲン方面に向けてハイランドハイウェイを西進、ナザブ、カイアピット飛行場を横手に見てワタライスに至り、ハイランド道に分かれてグサップ、ドンプを経てマダンまで通じている。戦中、日本軍がラエ攻略を目指してボガジン渓谷の難関に構築した未完の道路があった。この未完 のボガジン渓谷道を基本にして構築したというのがラム、ハイウェイである。しかし、長途の難路に加えて時にはラスカル(強盗団)が出没するようなので巡拝行はやめた方がよいようである。 ラエ(Lae)はニューギニア北岸で一番大きな、戦後にできた新しい街である。旧飛行場横の小高い丘であった処がトップタウンと呼ばれている中心街で、 郵便局、銀行、レストラン、高級ホテル、ニューギニア航空会社などがある。この周辺にバス停、現地人市場がありで、ショッピング街になっている。 区画整理された道路の周辺には、鈴なりのマンゴーの樹や着性植物が絡まっている巨木も散見され、南の国の緑豊かな新興小都市である。 見事に整頓されている豪州軍戦没者墓地を表敬訪問しての帰路に、国内の珍しい各種のランを集めて栽培している植物園があり一見に値する。 郊外にある熱帯自然植物園は、巨木が鬱蒼と生い茂る大密林を、そのまま残してある自然公園で、壮大なジャングルの気宇が満喫できる。 戦中回想 -
現在のラエ市街や競技場の辺りは疎林と草原だけの原野であって、本部山(現在はルマナンの丘という)には海軍部隊の第7特別根拠地隊が駐屯していたところである。ブナ・ギルワ戦に失敗し後退してくる南海支隊を収容しながら、ワウ作戦、サラモア作戦を主導していた第51師団(基部隊)と配属全部隊が玉砕を期して マッカーサー軍(現地司令官アイケルパーカー中将)を迎撃奮戦していた後方基地であり玉砕直前、命によりサラワケットの峻険を越えて撤退した起点地である。 競技場、レイ・ヨットクラブ辺に至るフォン湾岸の入江には仮設の海軍桟橋があり、兵員や軍需品の揚陸場に使用されていた。
ブンブー川左岸近く、教会の建物は野戦病院として使用されており、ロカン、ボブダビ、サラモア方面の激戦地よりの、戦傷将兵を収容していた所であるが再々 猛爆されていたし、ラエ撤退の際には歩行不能の重傷者が多く自爆した事実もあって、多数の戦死者を出したとのことである。 野戦病院跡の埋葬地点は、昭和30、44、48、56年度に遺骨収集を実施した。また、最後の撤退時には船舶工兵5聨隊の寺村舟艇隊が、ブソ河々口附近 に上陸中の敵船団のただなかを、暗夜に乗じて突破し200余名の重傷者をフインシュハーヘンの我軍基地まで決死的に輸送した史実は有名である。 昭和18年1月。 ラエ上陸後、残存南海支隊の収容と戦略拠点であるワウ附近の占領の命をうけた51師団は、岡部支隊(歩兵団長、岡部通少将、51師団102聨隊基幹の諸隊)を編成し1月5日、ラバウルより出陣した。(18号作戦という) この作戦に参加した輸送船は、智福丸、日龍丸、くらいど丸、ぶらじる丸、妙高丸であった。5隻の駆逐艦の護衛と飛行11戦隊基幹が船団上空を直衛し、艦爆5機が対潜警戒に任じた進攻輸送作戦であった。 6日朝より敵のB‐17数機の爆撃を受けたが、11戦隊も奮戦して襲撃してくる敵機、大型3機、P‐34、4機の撃墜を報じた。 しかし繰返し執拗な爆撃が続いて7日には湾内で荷揚げ中の日龍丸が爆弾数発を受け火災を起こして沈没し、午後には妙高丸が船腹に被弾し航行不能になって しまったが、貨物の揚陸が概ね完了していたことを幸いとして、敵機の銃爆撃の最中を物ともせず、航行不能の船体を陸岸に乗り上げて擱坐させた。 ★擱坐した妙高丸は、五十余年を経た現在では砂浜に埋没してしまい、甲板部分を砂中に確認されるのみである。
戦中には無かった部落の裏、海岸より望む左方遥かな洋上が、ダンピール海の大惨事があったところ(昭和18年3月3日、兵員、軍需品満載した輸送船8隻全 部と、護衛駆逐艦8隻のうち、2隻が敵の猛爆撃に遭い撃沈され、壊滅的打撃をうけた)積載の兵器軍需品全部の海没と三千数百名の将兵を失った。81号作戦 という。ニューギニアの戦史に【恨みは深しダンピール】と永く伝承されている。 遥か洋上で散華した戦没将兵の、ご冥福をお祈り申し上げることである。 ルナマンの丘(海軍第7根拠地隊が駐屯していたラエ山、本部山と云った) 鬱蒼としたジャングルで、ブッシュ、藪の中には旧日本軍の防空壕や塹壕跡がある。 (最近この防空壕を拡大整備して観光資源の目玉にしようとしているらしい)山頂には通信塔があり、ラエ市街、港湾一帯が展望される。 しかし、ここ数年この地で強盗事件が頻発し、日本人が重大な被害を受けているとのこと、特別の事情があって登られる人は警察と相談の上、地元の案内人を同行すべきであるという。 ▲このページの初めへもどる |
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